早くやらなきゃ、と焦っているあなたへ

先日、「失敗を恐れず行動しろ」といった趣旨の記事を書きました。ただ、それは「考えるな」という意味ではありません。早く行動することをお勧めしますが、焦って行動しろと言っているのではありません。ここではそれを説明します。

この記事で伝えたいことはシンプルです。セオリーに従うことは大切ですが、そうでないときがあってもいい。それだけです。

まず、セオリーに従うことを考える

行動していくぞと決意したら、まずはセオリーに従って進めることを考えます。

何も考えず実行するのではなく、セオリーを調べます。定石、定番、マニュアル、そういうものです。既に確立された方法があるなら、それに従います。

最初にやることは、自分の目的を達成するためのセオリーが存在するのかを調べることです。存在する場合は、どう使うのか、使うための前提は何かを確認します。

調べるときも、どうやって調べるか、どれくらい調べるか、お金や時間をどれくらい使うか、人やサービスを頼るかどうか、などを考えて進めましょう。

そうすれば、モヤモヤと悩んでいる状態から一歩前に進みます。これは目的地を目指すにあたって、経路を探す作業です。

問題はセオリーに従うのが難しいとき

セオリーがすぐに見つかって、それが自分の状況にマッチしているなら問題ありません。やるだけです。そこまで来ると、実行に対する感情が「怖い」「恥ずかしい」から、「面倒くさい」「億劫」になっていることが多いと思います。それは、まあやってください。

問題は、セオリーが見つからない場合や、見つかっても自分の状況にマッチしていない場合です。

目的地を目指す話に例えるなら、公共交通機関がない、ツアーがない、適切な便がない、駅が遠すぎる。そんな状況です。言い換えると、簡単には到達できない場所を目的地にしているとも言えます。

夢を掲げて、それに向けて動こうとするなら、そういう状況は避けられません。というか、夢とはそういうものです。

難しいことをやろうとしており、それを達成するためのセオリーがない。そう理解できたら、それはそれで前に進んでいます。

言葉で説明できないことを判断する

セオリーに従うというのは、言い換えると、言語化された範囲で動くということです。「こうすればこうなる」と説明できる手順に沿って進む。それは基本的に正しいやり方です。

でも、言語化できることだけをやっていると、しんどくなる場面があります。

論理的には筋が通っている。でも、なんか違和感がある。そういう感覚に出会うことがあります。その違和感は言葉でうまく説明できない。でも、確かにある。

買い物で例えてみます。限られた予算で充実した食生活を送ろうとしている場合を考えます。レシピを調べて、買い物リストを作って、スーパーに行く。ここまではセオリーに従っていて、言語化できる手順です。

でも、現場に行ったら状況が違った。旬の食材が安く売られている。近くの買い物客がその食材を使った料理の話をしている。見た感じ、値段に対して質も良さそう。

なぜこの食材がいいのか、うまく説明できないかもしれません。でも、五感で捉えた情報が「こっちの方がいい」と言っている。そんなとき、当初のレシピを捨てて、旬の食材を使った料理に切り替える。これが直感に従うということです。

この時の目的は「レシピ通りに作ること」ではなく「充実した食生活を送ること」です。手段と目的を混同しないでください。

セオリーを無視しろという話ではない

ここで大事なのは、「レシピを無視しろ」「レシピなんて意味ない」と言っているわけではないということです。

レシピには背景があります。その地域で入手しやすい食材、その土地の気候、そこに住む人たちが充実した生活を現実的なコストで送るために最適化してきた結果としてレシピができたなど、いろんな文化的背景があります。

場所や季節、環境、時代が変われば、自分のための料理やレシピも変わって当然です。でも、それは過去にレシピを作った人、大切にしてきた人を否定しているわけではありません。「絶対にこっちの方がいい」「これを作った人はわかっていない」と固定的な考えを言うのは失礼です。状況が違うだけ。過去の知恵に敬意を払いながら、自分の状況に合わせて判断する。それだけのことです。

セオリーも同様で、さまざまな時代背景・文化背景があったうえで構成されています。レシピと同じです。

捨てろとは言っていない

繰り返しますが、セオリーに従うことは大切です。言語化できる手順で進めることは、基本的に正しい。それは変わりません。ただ、それが「絶対」になってしまうと、しんどくなります。計画通りにいかないと不安になる。言葉で説明できないと動けない。そういう感覚に縛られてしまう。

基本的にはセオリーに従いましょう。でもそうじゃないときがあってもいいのです。

私が言いたいのはそれだけで、セオリーを捨てろということではありません。行き詰まったときに、一時的に棚上げして、直感に従って動いてみましょう。行き詰まりが解消したら、慣れた慎重なスタイルに戻せばいいのです。

また、レシピを調べたことは無駄になりません。次に同じ料理を作るときにどんな食材が必要かイメージできる。季節と食材の関係がわかる。献立の考え方が身につく。調べた経験は、自分の中に残ります。

あなたの活動の責任を持つのは誰ですか?それが仕事で、上司やクライアントと合意して動いている活動なら、勝手に変えてはいけません。それは当然のことです。でも、自分の人生やキャリアに関する計画なら、責任を持っているのは自分です。自分で変えていい。許可は要りません。

私からは以上です。

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