書いて残すことの価値 — なぜKnowledgeHubに記事を蓄積するのか

はじめに

もしかすると「記事を書いてほしい」と言われたとき、「忙しいのに書く時間なんてない」「書いても誰が読むのかわからない」と思うかもしれません。

実は、私自身もブログを書くのが億劫になった時期があります。書き始めても次第に「仕上げるのがめんどくさい」という気持ちになり、公開すること自体をハードルに感じる状況になっていました。

ただ、いくつかの経験を通じて気づいたことがあります。書いて残すことの価値は「誰かに読まれること」だけではない、ということです。今回はそのことを説明します。

自分の過去の記憶を引き出せる

自分の興味に従って活動していると、過去に経験したことに近いトピックに何度も出会います。そんな時、自分の経験と思考をブログに書いて残しておけば、過去の自分が何をどこまで考えたか、どういう理由でどんな結論に至ったかを、すぐに引き出せる状態になります。特にすぐに引き出せるかどうかは大きな違いを生みます。

正直なところ、私は自分の記憶力に自信がありません。また、誰でも記憶力には限界があります。しかし、過去に自分が書いた文章であれば、その文章を書いた時のことをすぐに思い出せます。自分の考えを言語化して残しておくことは、未来の自分への確実な伝言となるのです。

すぐに見せられる状態にしておく

人と話しているとき、「そういえば、その話、前に考えたことがある」という場面があります。そのとき、自分の考えがすでに記事として公開されていれば、その記事のリンクを1つ共有するだけで自分の考えを説明できます。

これは考えながら話すよりも間違いなくわかりやすい説明ができますし、時間がなければ「この記事を読んでみてください」と渡すこともできます。毎回ゼロから説明し直す必要がなくなるのです。

KnowledgeHubでは、運営方針として「説明負担の軽減」を掲げています。同じ説明を何度も繰り返す代わりに、一度書いておけばリンクを貼るだけで済む状態の積み重ねは、長い目で見れば大きな時間の節約になります。

欲しい人が自分で見つけられる

人間の時間は有限です。情報を欲しい人がいたとしても、すべての人に丁寧に説明する時間はありません。しかし、自分の考えに興味を持ってくれる人がいるなら、その人が自分のタイミングで情報を取得できる状態にしておきたいとも思います。

記事を公開しておけば、必要な人が必要なときに探し、見つけることができます。また、KnowledgeHubに記事を公開しておけば、HeritageArrowに関わる人が自分で探して答えを見つけることができます。人の入れ替わりがあっても、知識が積み上がっていきます。これがKnowledgeHubの目指す状態です。

書いたことがある、という経験自体が力になる

個人が興味を持って考えていることは、その人の人生の中で何度も関わることになります。また、その興味が特異であればあるほど、人に説明する場面も繰り返しやってきます。

そんなとき、「一度自分なりに考えを言語化したことがある自分」と「一度も言語化したことがない自分」では、説明の質が違います。書くことは言語化の素振りです。最初はうまく書けなかったとしても、素振りを続けることで、次第に説明力が上がっていきます。

KnowledgeHubの記事も、完璧である必要はありません。書くこと自体が、自分の考えを整理し、伝える力を磨く機会になります。書いた記事は、執筆者本人が組織を離れた後も参考にでき、実績として示すことができます。

おわりに

書いて残すことの価値は、読者数や閲覧数だけでは測れません。自分の記憶を助け、説明の手間を減らし、自らの知見が必要な人に届く状態を作り、自分自身の言語化力を高める効果を生み出します。

KnowledgeHubは、この「書いて残す」という行為の価値を、個人の習慣から組織の仕組みへと広げる場にしたいと考えています。一人ひとりが書いた記事が積み重なることで、HeritageArrowの活動に関わるすべての人が恩恵を受けられる知識基盤を目指しています。


この記事は、代表 的場のブログ記事「誰も辿りつかないブログ記事も書く意味がある」(2024年1月公開)および「何度も説明しないためにブログに書く」(2021年7月公開)をもとに、KnowledgeHub向けに再構成したものです。

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