日本語で学べる記事を増やす — 母語で学べることが創造を生む

「技術系の情報は結局、英語のものを見た方が速いし、確実。最近は翻訳ツールやAIもあるから、日本語で情報があるかどうかって関係ないんじゃないの?」

私はそう考えていたことがあります。しかし、今の私はそう考えていません。私の考えが変わった背後には、ある本の存在がありました。今回はそのエピソードを紹介していきます。端的に言えば、日本語の情報があることで、翻訳ツールやAIを使った場合では得られない価値が生まれます。

母語の方が理解スピードが速い

日本語で書かれていれば5秒で理解できる情報が英語で書かれていたとします。翻訳ツールを使えば日本語に変換できますが、言語の変換に3秒かかり、読むのに5秒、誤変換を疑って原文を確認して理解するのにさらに7秒かかるようなことが生まれます。この秒数は例ですが、母語で書かれていれば5秒のところが合計15秒、つまり300%の時間がかかるようなケースは実際にあるでしょう。

具体的な数字はさておき、理解までのオーバーヘッドがあること自体は確実です。一つの文章なら大した差ではありません。しかし、新しい技術を学ぶときには何百、何千という情報に触れます。そのすべてにオーバーヘッドがかかると、差は無視できない大きさになっていきます。

確かに、英語の方が情報が多く確実な場面はありますし、AIを使えば理解が速くなる状況もあります。しかし、それは日本語の情報がなくてもいい理由にはなりません。私たちは日本語を母語としているのです。

ローカライズが精一杯だった時代

『文系と理系はなぜ分かれたのか』という本の中で、印象的な記述を見かけました。

 

 

それは、明治期、日本の大学では教師のほとんどが外国人で、授業も教科書も外国語であったこと。その当時、日本人ができたのは、土着の対象(日本独自のもの)に外国の科学的方法を適用する(つまりローカライズ)ことが精一杯だった、とのです。さらに、それが大正になり、日本語で人材育成を行えるようになると、オリジナルな研究をする余裕が出てきたとの記述もあります。この歴史的な事実は、非常に重要なことを示しているように思います。

つまり、外国語で学んでいる間は、理解することに時間がかかり、新しいことを考える余裕がなかったということでしょう。そして、母語で学べるようになって初めて、独自の発想が生み出す余裕が生まれたことが想像できます。どんな言語で学べるか、学び方の手段がどれだけ身近か、によって余裕が変化するということです。

学びやすさが余裕を生み、余裕がオリジナルを産む

新しい何かを生み出すには、必ず制約があります。むしろ制約があるから、新しい何かが生まれることもあります。人は、時間やお金、モチベーションなど、限られたリソースの中で、できるだけより良い何か生み出したいと考えてきました。常に制約があって、十分な時間・お金・やる気があることはありません。

限られたリソースの中で最大限の成果を得るためには、既存の知識を学ぶ部分の効率を上げることが重要です。いち早く前例を学ぶことで、未知の問題に対して向き合う時間を増やせます。例えば、英語で学べば3時間かかった学習を、日本語で学べば1時間で済むかもしれません。そうすれば、残りの2時間で別のことを学んだり、新しいアイデアを考えたりできます。

AIも同じで、自分でAIだけを使って学べば3時間かかる学習を、誰かが作った教材+AIで補足しながら学べば1時間で終わるかもしれません。学習の速度が上がれば時間的な余裕が生まれ、この余裕がオリジナルな発想を可能にします。明治から大正への変化が教えてくれるのは、まさにこの構造です。

日本人が日本人に伝えることの価値

「日本語の情報を増やす」とは、単に英語を日本語に翻訳することだけを意味しません。日本人が自分の経験を日本語で説明し、日本・地域の文脈に合った形で知識を伝えることに、大きな価値があります。

別の経験を持つ人のために説明された情報はその説明の文脈を前提として作成されています。また、翻訳された情報は、その元の文脈(異なる業界慣習、異なる組織文化、異なる前提条件など)を前提とします。それを日本の、しかも自分たちの文脈に引き直して理解するには、それなりの労力が必要になります。最初から自分たちの文脈で書かれた情報なら、その労力は不要になります。

だから、日本人が日本人向けて文章を作成して、経験や知識を説明していくことが大切なのです。

KnowledgeHubが日本語で知識を蓄積する意味

KnowledgeHubは、日本で活動した日本人の実践知を日本語で蓄積し、共有していく場です。

ここに蓄積される知識は、海外の技術情報の翻訳ではありませんし、海外の実践知でもありません。日本で地方に関係する技術を活用する文脈の中で、実際にやってみて得た知見になっています。これらの情報は、同じ文脈で働く人にとって、参考になるはずです。

母語で自分たちに近い文脈で、実践に根ざした知識があることは豊かなことです。そして、それが新しい工夫や改善を生み出す土壌となっていきます。明治期に日本語教育がオリジナルな研究を促進したように、KnowledgeHubに蓄積する知識が、私たちの活動に関わる人たちのオリジナルな実践を支えるものになれば幸いです。

おわりに

まとめますと、日本語で説明された情報の価値は、翻訳ツールが進歩しても失われません。また、日本人が日本人に向けて説明した情報の価値も、AIが進歩しても失われません。母語で学べることが、学習のスピードを上げ、余裕を生み、その余裕がオリジナルな創造につながっていきます。

KnowledgeHubに知識を書き残すことは単なる記録ではなく、私たちに近い活動に取り組む人たちが、より速く学び、より深く考え、より新しいことに挑戦できる環境を作ることにつながっていくと考えています。それが、記事を書く本当の意味だと考えています。


この記事は、筆者のブログ記事「日本語の情報を増やす」(2024年1月公開)をもとに、KnowledgeHub向けに再構成したものです。

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